警戒心


人の世は不景気、派遣切りなど厳しい話ばかり。人心穏やからずの時は動物(野良猫、地域猫)にもそういったことが波紋のように広がり伝わるのだろうか。警戒心ありありの表情をしている。 先日テレビで派遣村にいる人達と元アナウンサーのTが話をするという番組があったそうだ。その中でTは、派遣を切られたからといってすぐに『金なし』『宿なし』になってしまうのは「あなた達の生活の仕方、お金の使い方が間違っていたのではないか」的な発言をしたそうだ。確かにそういった人もいたには違いないだろう。だが、世の中が弱い人達に対して攻撃的になっているように思えてならないのは僕だけだろうか。以前、自己責任という言葉が錦の御旗のように使われた時期があった。紛争地域で活動をしていた若者達が拉致された時が始まりだったろうか。首相が「行くな」と言ったのに勝手に行ったのだから国は責任を負えないという分かり易い論法だった。だが、国は例えどんな理由であれ邦人を保護する義務があり、その義務から逃れることなど出来ない。然しそんな当たり前の話は吹っ飛んで「血税を勝手なことをした奴らのために使うのか」的な話にみんなが乗っかってしまった。僕はこの風潮に世の中の二極化を感じてしまう。昔はお金持ちとそうでない人々という二極があったように思う。だが、そのうちにニュー・ファミリーと呼ばれる階層が現れ、みんなが中流という意識を持つようになった。中流であるということがただの幻想なのか事実なのかはともかくとしてその頃は少数派の二極の間を挟むようにそういった人々の層があったように思う。そんな中流の人々は弱者に対してもう少し優しかった気がする。ところが今はかつて寛容だった人々がこぞって弱者を叩く側に回ってしまってはいないか。不景気がそうさせたのか、それとも世の中の風潮がそうさせているのか?いずれにしても自らの不満や不安を弱者を攻撃することで払拭しようとしているように見えてしまう。まるで弱者が自分達の幸福の分け前を少なくする元凶のように警戒し、敵意に満ちた眼差しで彼らを見ている気がしてならない。