64年目の夏

広島に原爆が投下されて今日で64年を迎える。米国では多くの人があの原爆投下について正当性があったとする意見を持っているようだ。当然ながら実際彼の地に足を運んで検証していない人の意見なのだろう。彼らが米国内で受けた教育は投下を是とし、マスコミの報道もそれに沿ったものなのだから当然の帰結といえる。更に連続している歴史の中で断片のみをクローズ・アップさせて論じると米国の唱える正当性というのも論理的には成立する。何故広島なのか、何故長崎なのか、何故東京ではなかったのか。一面焼け野原だった東京に投下しても原爆の効果が判断しづらいという思惑があったことを今に生きる米国民は知っているのだろうか?