使ひ捨てライターに思ふ

普通に考へれば道具といふものは常に良くなつていく筈である。重いものが軽くなつたり、使ひ易くなつたりするのがモノの進化であり、本来不可逆的な道筋を辿る。ところが、不思議なことに値段は変はらずに悪くなるものがある。使ひ捨てライターとか100円ライターとか呼ばれるものだ。少し前のライターは軽く押し込めば着火出来たのだが、最近のものはかなりの力で押し込まなければ火を着けることが出来ない。重さもさること操作感も非常に不愉快なもので
ある。これは子供の火遊びを防止するための配慮?工夫?らしい。確かに子供が容易に火を着けることは出来なくなつたが、これでは女性や老人も使ふことが出来ないだらう。こんなものが商品として成立することが僕には不思議でならない。子供の火遊び防止は実は使ひ捨てライターを撲滅させるための口実なのではないだらうかと勘ぐりたくなる。それにしても今の子供は不幸である。危ないからといつて何もかもが子供の身の回りから遠ざけられる。その結果、危険とは何かが分からなくなる。危険を察知する能力が無い生き物が生き延びるなんて出来るのだらうか。