効率よりも質☆雪おんな

京王線の各駅に笑顔で最敬礼する駅長さんのポスターがつひ最近まで貼られてゐたらしい。(今朝の東京新聞の記事を元にしてゐます。新聞では【張】られてといふ漢字でしたが、僕は【貼】るの方がしつくりくるので変へてあります)このモデルの方は東日本大震災当時、新宿駅の駅長だつたY氏。あの日、外は危険と考へY氏は駅構内の開放を決断。避難してきた人々への情報提供の方法として構内のマイクを使はず、職員が肉声で伝え続けた。その理由が「声が届く範囲に駅員がゐるといふ安心感を持つて頂ける」といふものだつた。中島誠之助氏ではないけれど【いい仕事してますねえ】と言ひたくなる。
震災発生から七時間余り経過した午後十時十分、運転再開の許可が下りる。
「運転を再開します」とY氏が叫んだ瞬間、構内に大きな拍手が沸き起こつた。

ここ二三日は幾らか暑さも和らぎ、今朝などは秋の気配すら感じられた。これで酷暑も過ぎ去つたのかと思へばさにあらず。まだ残暑厳しき日が続くらしい。
せめて気持ちだけでも涼しくなるべく【雪おんな】の話など。昔、まだ僕が幼少の頃、この話は本で読んだ気がするが、内容は殆ど覚へてない。雪おんななのだから冬の話であることは分かるが、何処の話だつたのか。記憶が曖昧だと人間の脳は勝手に補足する癖があるらしく、雪=東北と関連付けて新潟や山形の方の話だらうとなる。だが小泉八雲の記した【雪おんな】は、武蔵国西多摩郡調布村(現在の青梅市)が舞台である。江戸時代のこの地では今では考へられないほど冬の寒さは厳しかつたらしい。二尺三寸(七十センチ)の雪が積もつた記録もあるさうだ。雪おんなの口から出る白い息を吹きかけられると凍つて死んでしまふのだが、この暑さならば凍るほどの冷気を吹きかけられてみたい気もする。