ロード・バイクの自己責任

 ロード・バイクに乗つた77歳の男性が起こした裁判。原告の主張によると道路の下を走る水路の蓋(金属製)と道路の間の隙間にタイヤが挟まり、転倒し顔の骨を折るなどの怪我をしたのは道路を管理する市側の責任だといふことで440万円の損害賠償請求を申し立てた。判決は原告側の過失(左側通行をしていなかつた)などの過失分を相殺し、市側に320万円の支払いを命じた。僕は性格的にお上や政治家などを批判の対象にするのが専らなのだが、この件に関しては立ち位置が違ふ。左側通行をしていなかつたなどは論外の話だが、それよりもこの事故は本当に避けられなかつたのかと疑問に感じる。ロード・バイクに乗るのに年齢制限はないが、逆に言へば子供でも大人でも年寄りでもロード・バイクに乗るための要件
(判断力、予知力、体力、柔軟性などなど)が平等に求められるのだ。僕は自転車にもバイク、車にも乗るがそれぞれ運転にはその乗り物によつて求められるものが違ふ。少し乱暴な言ひ方になるが、車は主に対人、対物に注意すればいい。
道の凸凹など4つもタイヤがあるのだからそれほど気にせずとも済む。バイクはマンホールや側溝の蓋などを出来るだけ踏まないやうに走る。特に雨の日などは滑りやすい。自転車の場合は、ある意味車の運転よりも気を使ふ。対人、対物、自転車、路面と注意すべき項目が増すからだ。ロード・バイクも自転車ではあるが、所謂ママ・チヤリに乗るやうに漫然と運転したら事故になるのは当然なのだ。ではさういつた緊張感を持たなければならないのはロード・バイクの欠点なのか。さに非ず。それらは自分の五感を駆使し、自らと対話しながら走るのがロード・バイクの面白さであり、スポーツである所以なのだ。スポーツである以上、自己責任を伴ふのは当然のことだ。交通法規も守れない、道路は平らでなければ厭な方は
公道を走つてはいけない。