蔵書破棄に思ふ

 僕が初めて買つた本は岩波文庫だつたと思ふ。エドガー・アラン・ポーの【黒猫】であつた。
随分前の話なので実際それが本当に最初だつたのかは自信がない。ただ僕の記憶の中ではそのやうに定着してゐる。その本は当時七拾円だつた。背表紙に☆が印刷されてあつて、☆一つが七拾円、弐つだと壱百四拾円だつた。漢字の書体も古いもので、恋は戀、気持ちは氣持ちといつた表記だつたと記憶してゐる。今でもこの本は書棚にある。この先、おそらく再読することはないだらうが棄てられることはない。経年変化でカバーのパラフイン紙がボロボロになつてもずつと本棚の中で眠り続ける。読まないから、場所がないらとか、どんな理由があつても僕の存命中は決して破棄されることはない。これが僕と本との付き合ひ方だ。