ライカ病

カメラが好きである。写真も好きである。あえてどちらが好きなのかは言わない。前文の序列で大概の人は分かると思う。当たり前の話ではあるが、カメラは道具である。道具である、という言い方はOKだが、写真を撮る道具でしかない、という言い方には抵抗がある。写真のプロが道具を大切にするのは当然の事だが、カメラ好きにはカメラの使命である撮影をカメラにさせずにただ防湿庫の中にディスプレイさせておくだけ、という人がいる。各人の好みの問題だからそれに対して批判も応援もしないが、カメラに興味のない人には理解し難いことだろう。これを病気と言っていいものかどうかはわからないが、私は病気だと思っている。病気の中でも一番崇高かつ性質の悪いのがライカ病であると思う。これにかかると
経済的にも精神的にも常人の理解からはどんどん離れていってしまう。ドエライ高価な道具を購入して、その道具を飾っておく。たまに宝箱から出してはその質感や質量を確認し、巻き上げの感触を楽しみ、シャッターを切る。「やっぱライカはええ〜」と一人満足する。
これを一般の方に理解してもらおうと思っても無理である。マニアというよりは一種の変態である。日本のカメラ業界はかつてライカを目標とし各社しのぎを削った。その結果カメラ光学機器は日本が世界のシェアをほぼ独占するに至るまで成長した。然し今思えばカメラ業界はライカを理解していなかったのではないかと思う。日本の各社が目指したのは道具としての性能や利便性であり、本質ではなかったのではないか。ライカは無論世界に冠たる光学機器メーカーではある。だがそれだけではない。むしろライカというファクトリーが作っているのはカメラではなく、変態を作っているのではないか。この変態は主に男性に多いのだが、形状・質感・質量・感触・音、それらの要素を盛り込んだ製品を作ると眠っていた変態が目覚めたり、増殖したりすることをライカ社は良く知っているのである。日本ではニコン党というやはり変態の集まりがあるが、変態度、会員数などあるゆる面でライカには遠く及ばない。ところでかく言う自分はどうなのか・・・。どうにかライカ病にもニコン病にもなってはいないように思う。しかし、カメラ病であることは間違いなさそうである。カメラ病は特定のメーカーだけに傾倒することはない。逆にいうと全てのメーカーのカメラが欲しいのである。それも各メーカーのフラッグシップと呼ばれる最高の機種が欲しいのだから始末が悪い。然し病気なのだから仕方がない。当分治りそうもない。桜の季節にどのカメラを連れ出そうか迷っているうちに桜が散ってしまうなんてことがないようにと祈るのが精一杯の今日この頃である。