この食品には毒が入っているかもしれないと思いながらも僕等は安心、安全な食物を入手する方法、毒かそうでないかを鑑別する方法をとうの昔に自らの手から捨ててしまった。飽食の時代に毎日ロシアン・ルーレットをしているような有様。拝金主義にならざる得なかった、或いは成り下がった食の供給者に食べ物の作り手、送り手としての矜持を期待するのは果たして無理なことなのだろうか?