誰が為に米は実る

当たり前の話だが、生き物はおしなべて食わなければ生命を維持できない。では何を食うか。肉であったり、魚であったり、つまりは他の命を食うことになる。これは菜食主義者であっても根本は変わらない。食事の前の「頂きます」は食べ物を頂きますでもあるが、「あなたの命を頂きます」でもある。事故米から汚染米に格上げされた件の米は害虫などの被害を少なくする、限りなくゼロに近づけるための農薬の使用なのだろうが、実際我が国に入ってくる汚染米の農薬の残留量は害虫にも食われなかっただろうが、人にも食われない代物だった。ではこの汚染米は何の為に作られたのだろう。種を蒔き、田植えをし、育ち、実り、収穫されるという米のライフサイクルは変わらない筈なのに。虫や家畜、人にも食されることなく燃やす為に育てられた米の運命はあまりにも悲しい。誰の為にも、なんの為にもならない命を生み出し、償却処分する人間はものの命というものをどう考えているのだろう。