ありがたい

言葉は時代と共に本来の意味や使われ方が変化していくものが多い。普段使うものだから言い難い(発音しづらい)ものは語を縮めた省略形に変化することが多い。荒磯(あらいそ)が(ありそ)に変わったりするのはその典型。こういったある種の合理性とか法則性があるものは納得しやすく、知らない言葉でも読み方を予想出来る。然し、意味はそう簡単にはいかない。しっかり覚えておかないと恥をかいてしまうことがある。その代表が「情けは人のためならず」情けをかけることは人のためにならない、と間違えるのはよく聞く話。その後に続く「巡り巡って自分のため」とセットで覚えておけばなんのことはないのだが、前文の方が有名になりすぎて一人歩きをしてしまった結果なのだろう。「井の中の蛙 大海を知らず」も同様。後には「されど空の青さを知る」という名文があるのだがあまり知られていない。言葉は一種の道具である。だから使う人によって恣意的におかしな使われ方をすることがままある。例えば最近では参議院での与野党議席数。野党の方が議席が多く、衆議院を通過した法案が参議院で否決されると「ねじれ国会」と大新聞やマスコミは言う。「ねじれ」という言葉は単にその状態を示すばかりでなく、否定的なニュアンスを持っていると感じるのは僕だけだろうか?テレビは音の他に映像という手段を持つが、活字を伝達方法の主とする新聞などがこういった言葉の使い方をするのは感心出来ない。意図的に使っているのなら問題だし、分からないで使うのならば見識を疑う。そもそも衆議院で可決され参議院で否決されたら衆議院で修正を加えてより良い、或いはより悪くない法案として成立させればいいことであって(法案成立に)時間がかかったからねじれだなんだと言う方がおかしい。数に物を言わせてろくに審議せず強行採決をしてスピード成立の方が異常なことなのだ。話は言葉の変化からだいぶ脱線してしまったが、来月には衆議院解散選挙となる雲行きだ。政治家のセンセ達は色々とありがたいお話をして下さっている。そういえば、このありがたいも本来有難い、有り得ないが変化したもの。選挙戦でのセンセ達は本来の意味でこの言葉をお使いか?