アイデンティティー

田母神氏の問題はいっこうに収まる様子がない。彼の全くぶれない姿はさぞや為政者のセンセ達には困った問題のようだ。持論の国防のあり方まで言及するに至った背景はなんなのか。石破前防衛大臣毎日新聞で「政治家が何もしていないような考えは2.26事件と同じ視座に立っている」といったような発言をした。この記事を読んで僕は「では政治家はいったい何をしたのか?」と疑問に思った。自衛隊の存在が違憲か合憲かといった根本問題に始まり、最近ではイラクへの派遣、給油問題といった現実に対して一切法的な根拠を明示しないまま解釈のみで来てしまった政治。民主党の小沢党首ではないが、政治には原理原則というものが絶対的に必要である筈だ。しかし我が国はそういったいわば国の背骨となるものを有しないまま時々刻々と変化する国際情勢に場当たり的な対応をとってきた。国会でのイラク派遣問題に関する小泉発言でははそのほころびが見事に露呈された。防衛省関係者は制服組も背広組も自衛隊の誕生から今日に至るまでずっと自らの存在に対して確固たる意義が与えられていないように感じているのではないだろうか?つまり国防を担わせられながらアイデンティティーを与えられていないのではないか。有事には国を守れ、イラクでは米国の下で働き、助けよ、銃火器の使用は個人の責任・・・。あまりに捨て駒的ではないだろうか。国民の血税で調達した武器を国が彼等に貸与する。彼等の活動は国が責任を持つ。こういったごく当たり前の話が彼等には信じられないのではないか? 田母神氏のような考えが省内で多数を占めるのかどうかは分からない。だが、少なからず氏に同調する隊員はいるのではないか。僕は先日のブログで氏の発言の内容よりも発言そのものが問題だと書いた。今でもその気持ちに変わりは無い。だが、物事を考える時には結果だけの判断は片手落ちだろう。その発生原因にも目を向ける必要があると思う。防衛省に生まれた田母神イズムはある日突然変異で世に出たのではない。長い時間をかけて徐々にその形を現してきたのだと考える。