バランス

モノの値段とはなんだろう、とよく考える。どんなに大量に生産してもコストがゼロになることはない。必ずそのモノを作った費用があり、それに利益を載せて販売される。最初の冷蔵庫の値段は庭付き一戸建てが買えるくらいしたらしい(残念ながら都内なのか地方でなのかは失念した)戦中、戦後のことは話でしか聞いたことがないが、お金があってもモノがない。つまりお金よりもモノの方が大切だった。言い古された話であり、未だに信じられないのはバナナ。今では100円で5〜6本ついた房が買えるのに昔は医者の子息や病人しか食べられなかったという。今のように自由主義が進んだ結果、モノは安くなり、多くの人が買えるようになった。それはそれで喜ばしいことなのだろう。だが、僕はモノと値段とのバランスが大きく崩れている今の在り様を少し危惧している。へそ曲がりな僕が安くなったモノの値段にケチをつけているわけではない。大袈裟なように思われるかもしれないが、人の精神性を変えてしまったと思うのだ。それはどういうことか。モノ=値段(お金としてもいいだろう)がいい具合にバランスがとれている時の精神性とモノよりもお金の方が圧倒的な力を持った時の精神性は大きく違うように思うのだ。そしてその違いは単純に価値観の変化ではない。お金は元々生活の手段や方法だった筈のものだが、それが目的になってしまった。それが人間そのものを悪い方向へ変えてしまったと思えるのだ。そしてそれに追い討ちをかけるように産業の構造もバランスを崩してしまった。第三次産業ばかりに労働人口が集まり、実際にモノを作る人、モノを採る(獲る)人は隅へと追いやられている。モノを作れる人、採れる(獲れる)人以外はお金しか頼るものがない。生きていく気力も方法も持っていない。何も出来ない人は生きる力強さもしなやかさもない。もう一度バランスというものを考え直す必要を感じるのだが・・・。