忘れてしまったもの 置いてきてしまったもの


写真とは不思議なものだとつくづく思う。きれいな景色や人の写真もあれば悲惨なもの、汚いものまで何でもテーマになってしまう。この画像もプリントしようとなど撮った本人も思わないし、ブログを見た人が気に入ってくれるなどとも思わない。だが、作品と呼べるものばかりが写真ではない。作品となりえなくともブログの中では主題にもなれるし、文章を補足する薬味にもなりえる。閑話休題。先日宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」を改めて読み、そして感じたことがある。どこをとってもいい文章なのだが、僕が特に気になるのは「あらゆることを 自分を勘定に入れずに」の行。毎日テレビから吐き出されるニュースといえばどれもこれも暗い話題ばかり。レギュラーメンバーである政治家様、役人様、その他の特権を持つ方々は賢治の「あらゆることを 自分を勘定に入れずに」といった言葉をご存知かと訊いてみたくなる。時代劇に登場する悪代官などはその面容から悪人とすぐさま見分けがつくからまだいい。我々小動物は身を隠すとか距離を置くといったことで防ぐことが出来る。だが、高等教育を受けた彼らは決して悪人面をしていない。善良そうな顔をして或る時は猫撫で声で弱き者を助けるようなことを言い、また或る時は声高に正義を振りかざす。そしてその裏には必ず金や利権がセットになっている。まず自分を勘定に入れて、金や利権の上に饅頭を敷き詰め、最後に人のため、正義のためと書いてあるノシを貼る。「自分を勘定に〜」は全ての人がそういう心でいることが望ましいのは当然ではあるが、力のある者達、金のある者達こそがまず実践しなければならない。そういった矜持をどこかに忘れてきてしまったのなら是非市井に生きる市民に尋ねてみたらいい。きっと彼らは良心の在り処を知っていて教えてくれる。