「巧い」「ヘタ」の話

どんなものにも巧いヘタがある。絵や字、勿論写真にも巧いヘタがある。他にも分らないというのもある。
絵にしろ写真にしろ大御所といわれる人が描いたり、撮ったりしたものであればそのネームバリューで「ああ、うまいのか」と分らなくても無理に追認することはあるが、誰の手によるものなのか分らなければ「うまい」「へた」「わからない」「好きだ」「嫌いだ」などと自由に感想を持つことが出来るだろう。描く側も撮る側も超一流だったとしても観る側はビギナーから玄人はだしの人まで様々だ。僕は写真が好きで趣味で写真を撮るがかつて頼まれ仕事をこなしたことがある。ブライダル・フォトの仕事をいくつか請けた後、学校行事の写真を撮ることがあったのだが上がったプリントを見せられ随分とお叱りを頂いたりした。それはブライダル・フォトがイメージ写真に近い撮り方をするのに対して学校行事が記録写真的な撮り方を良しとするからである。ブライダル・フォトは今の時代では殆どノーフラッシュで撮影する。理由はその場の雰囲気をそのまま残すためだそうである。新郎新婦の顔に汚い影があってもお構いなしだ。(実は僕はこの理由にかなり懐疑的なのだ。プロカメラマンの馬場氏は本当に巧いストロボを使った写真とはストロボを使いましたという痕跡が残らない写真であると述べている。それにはストロボ撮影の技術と工夫が必要であるのだが、多くのブライダル・フォトグラファーと称する人達がその勉強を怠っているのではないだろうか)それに対して学校写真、特に幼稚園児の遠足写真などは真逆の撮り方をする。ガチガチのストロボ光の写真でも子供の顔がはっきりと写っていればOKなのだ。それも出来るだけアップが喜ばれ、何処に行った写真なのかなどは極端な言い方をすればどうでもいい。我が子が大きく写っているということが絶対条件になる。それに加え笑ってくれていれば言うことはない。卒業アルバムを作る習慣のない幼稚園では行事の写真は全て販売である。売れるか売れないかという事が一番大切な問題である。いい写真かどうかは売れるか売れないかという事のみが基準になるのだ。そういった写真は身内意外の人が見たら何の面白みもない写真ではあるが、間違いなくいい写真なのである。ブライダル・フォトの要領で撮ったりしたら売れ残りの山になってしまうのである。では幼稚園児の写真は簡単なのかというとそうは単純に言えない。不規則に動き回る子供の前にうまく回りこみ、カメラの方に顔を向かせて撮るというのはこれはこれで至難の技なのだ。撮影者の運動量はブライダル・フォトの比ではない。撮影後に「カメラマンに必要なのは技術よりも体力である」と痛感したくらいである。 つづく