「巧い」「ヘタ」 ?

「巧い」ということと「いい」ということが必ずしも一致しないことは昨日書いた。一致するのが本来望ましいのだろうが、撮る側、見る側、買う側など立場の違う者の対立はそう簡単にはまとまらない。「ヘタ」と「悪い」の関係も同じである。写真はその使われ方によって「ヘタ」が「いい」にもなり得るし、「巧い」が「悪い」にもなり得てしまうことがある。実は僕自身はこう言いながらもどうも釈然としていないのだ。理屈では分っていても玉虫色に変化してしまう写真に座りの悪さを感じてしまうのだ。今では完全に趣味のみの写真に戻ったので悩まなくて済むのだが仕事の写真を撮っていた頃はジレンマを感じたものである。ここまでしつこいくらいに「巧い」「ヘタ」だと述べながら今更こんなことを言い出すのもおかしいのだが「巧い」「へた」は同じ土俵で語ることは出来るが「巧い」と「いい」は
語るべきフィールドが違うのだ。ごっちゃにして論じるのはナンセンスというものである。このブログを書きながら僕はあるブライダル・フォトグラファーの言った言葉を思い出している。それは「カメラマンに必要なものが幾つかある。機材は勿論だが、出来上がった写真を依頼人に渡す時に相手にいい写真だ、巧く撮れていると言いくるめる話術が必要だ」というものだった。