スタンバイ

変な部分でやたらと保守的なくせに僕は新しいもの好きである。今やフィルムに取って代わった感のあるデジタルだがそれにも僕はスンナリと入っていけた。むしろ最初の頃は喜んだ口である。何しろ撮ったその場で結果が分かる。間に合わないことも多々あるにしろ悪ければ撮り直しがきくのである。ゴルフではないがチョロを打って「いや、今のは素振りしたんだ」(当たり前だがこれは本来やってはいけないこと)とぬけぬけと言いながら再度チャレンジが出来るのである。他にもフィルムバックを変えずに一台でモノクロもカラーも撮る事が出来る夢のようなブラックボックスである。最初に買ったデジタルカメラはカシオが出したものだった。名前は忘れてしまったが記録メディアを使わない最初期のものだった。やたらと電池の消耗が激しく一度散歩に連れ出すにも予備の単三電池を何本も持っていくような代物だったことを記憶している。
それからデジタルカメラは急速に進化し、今ではスペック的にはフィルムカメラを追い抜いてしまった。競争の結果いいものだけが残って行くのが本当ならばフィルムカメラは絶滅していてもおかしくない。だが、世の中には未だにフィルムカメラが少数ながらも生きながらえている。これがモノの面白さである。何もカメラに限ったことではない。例えばハーレー・ダビッドソンというオートバイがある。今のハーレーは作りも良くなり壊れにくくなったそうである。だが、昔からのハーレー好きに言わせると「壊れないハーレーなんてハーレーじゃない」そうである。ハーレー愛好者の古株が頑なになってそう嘯く部分もあるだろうがどうもそればかりではないらしい。壊れるからこそ人間の手で大切にメンテナンスする。人間とモノとの隙間を人が埋めるとでも言えばいいのだろうか。こういった余地があるモノほど人は好きになるのではないだろうか。簡単、便利、故障知らず、高性能、どれも人が機械やモノに求めるものである。だが、決して機能だけではない何かに人が惹かれるのも事実である。質感、感触、音、手間などは数字には表せなくとも大切な要素である。 さて、仕事のある頃には活躍してくれていたデジタルカメラ群だが、最近はめっきり出番がない。コンデジのGXとDP1がお散歩カメラとして連れ出してもらえるくらいだ。僕の中ではいいものだけが生き残るの法則が当てはまらないようだ。昔から生きていたものが相変わらず生きているといった状態になっている。ニコンをはじめとする銀塩カメラ軍はまだまだ現役でいつでも出動出来るようにメンテナンスされスタンバイしている。