言い草

麻生総理の「高齢者は働くしか才能がない」発言を受けて野党がこぞって批判している。僕は本来「言葉狩り」的なこれらの行為は好かない方だ。だが、今回の彼の発言には内容的にも言葉の使い方にも看過出来ないものがある。一般に才能という言葉を使う場合、〜の才能がない、という使い方をする。例えば絵の才能がない、音楽の才能がないといった具合だ。これは他者から「君には〜の才能がない」という使われ方もするし、自らが「自分には〜の才能がない」という使い方も間違いではない。問題は「しか」である。この「しか」を使う場合「才能」ではなく「能」を使う方が適当であり、「才能」を使ってしまうと前者の「しか」と後者の「才能」が相反する言葉の価値を含んでいるので可笑しな言い回しになり極めて座りが悪くなる。「自分は働くしか能がないので・・・」という言い方は「しか」と「能」がやはり相反する価値を含んではいるものの謙った使い方なので適当であり座りもいい。政治家というのは言葉を用いる商売である。人間だから言い間違いもあるだろう。いちいちそれらの全てに噛み付くつもりはないのだが、それにしても彼の間違いにはあきれてしまう。間違い方に知性が感じられないのだ。次に内容について。元々彼が言いたかったのは日本には元気な高齢者が多い。元気な方達の労働力を活用しない手はない、といった意味なのだろう。それは間違いではないし、労働者が増えれば納税額も増えるだろう。だが、現実には失業率も以前として高く、若い人から中高年に至るまで雇用は厳しいままだ。このような状況の中で高齢者が新しく就業する余地はどこにあるというのだろうか。派遣法を緩和し、多くの非正規労働者を生み出した政治の失敗を棚に上げてこの言い草はないだろう。