ノーベル賞

文豪谷崎潤一郎はかつてノーベル文学賞の候補だったそうだ。何故、今頃その事実が分かったのか。実はノーベル賞の選考過程は50年間公表されないらしい。つまり谷崎氏が候補だった事実が50年経過したために世に出たということだ。僕個人の意見としては故安倍公房氏はその賞に値する作家だったと思うのだが残念ながら受賞を叶わなかった。最近では村上春樹の名前が挙がる。僕は彼の作品をきちんと読んだことがない。最初の何頁かを斜め読みしたくらいだ。率直に言って好きでないし、いいとも思わない。「ノルウェーの森」も今回の作品もそうなのだが単語や名詞の羅列はいかがなものだろうか。かつて田中康夫の「なんとなくクリスタル」という本があった。佐藤愛子氏などから轟々の批判を浴びたがあれに近い書き方に思える。文学が時代や国の縛りから完全に解放されるのは無理だとは思うがあまりにも時代に迎合しすぎる作風は重みがない。彼の作品には時代、国籍を超えた人間本来の生き方、あり方などを文学を通して問う姿勢が僕には感じられないのだ。村上作品の特徴は必ず主語が使われることだという。僕が、彼が、といった書き出しなのだそうだ。これは翻訳する上で大変重要な要素らしい。外国人には主語がはっきりしている作品でないと受け入れられ難いようだ。