人間の過渡期

先週のことである。お昼を食べようと立ち寄った食堂での出来事。その店は入ってからまず食券を買うシステムになっている。券売機でお好みのものを買ってテーブルやカウンターに座ることになる。おそらく券売機と厨房はリレーされているのだろう。僕はそういった店に慣れているので戸惑うこともなく無事サービス・ランチにありつくことが出来た。ところが隣に座った老夫婦は食券を買わずにどっかりと腰を落ち着けてしまった。そして店員が注文を取りにくるのをひたすら待っている。僕はそのことに途中で気がつき老夫婦に「食券は買われましたか?」と声をかけた。男性の方は無言。女性は「あ、食券買うんだ」の一言。その言葉には照れ、バツの悪さといったものは感じられない。勿論ありがとうの気持ちもない。教えてあげたことに対してお礼は期待してはいないが、こういったリアクションは寂しいものである。可愛気がないのである。ことさら年寄り扱いするつもりはないが、年齢を経て来た人ならばもう少し何らかの工夫があってもいいだろうと思う。昔、思春期にある人間のズルさというのを本で読んだことがある。子供と大人の中間にいて、ある時は子供で、ある時は大人になる変わり身のことを言っているのだが、老人にも同じことが言えそうである。ある時は老人、ある時は壮年?熟年?だったりするのだろう。ズルい話である。だが、考えてみると人はそうやって思春期を迎え青年になり、何十年後かには壮年や熟年を経て老人になっていく。昆虫やカエルのように姿形の劇的な変態であれば分かりやすいが、人間は日々少しずつ変化していく生き物である。食堂で会った老夫婦は壮年から老年への過渡期にある人なのかもしれない。巧く老年に達した時にはもっと違う受け答えが出来るようになっていることだろう