事業仕分け

銀座や京橋にある老舗画廊の経営が危うくなつてゐると聞く。今まで絵画を購入してくれゐた地方の公共施設などの財政難の煽りを受けて売り上げが激減したのが理由といふ。泣く泣く廃業を決意する画廊もあれば、逆にここが商機と若ひ作家の作品にシフトする画廊もある。廃業する側は今まで扱つた作家や作品を貶めることはしたくなゐ。評価の定まつてなゐ作品をかつて名画が並んだ同じ場所に展示するのを潔しとしなゐといふ。これはこれでその画廊の哲学であらうから理解出来る。若い作家にシフトする画廊の言ひ分は、売れなければ画家は生活出来ぬ。生活出来なければ才能ある者も画家としてやつていけず、ひいては筆を折る。それは損失である。画廊には画家を育てる仕事もある、と言ふ。これも頷ける話である。どのやうな商売でも変わらなゐから長らく続けることが出来た事例もあれば、変わつたからこそ長い社歴を刻むことが出来たものもある。どちらも正論で1か0かと割り切れなゐところが悩み所である。ただ一つ言へる事は国のお金の使ひ方である。文化的なことには効率だの対費用効果などは元々馴染まなゐ。逼迫した国家財政だからといつて簡単に文化事業に対する予算の削減はこの国がお金以上の何かを失ふことになる。第二次の事業仕分けが始まるが努々金無し、文化なしの国にならぬやふにお願ひする。