五等星

別役実の本を読み終へて今は久しぶりに吉行淳之介を読んでゐる。氏の小説を読むのは多分30年ぶり位になる。学生の頃、【鳥獣虫魚】をとつかかりに何冊か読み漁つて以来だと思ふ。近頃の様に目まぐるしく変はる時世では僕が夢中になつて読んだ作家達はすでに古い部類に入るのだらう。年齢と共に何事にも新しいものに馴染めず知つたものばかりの中に自分を置くといふのは感心したことではなゐことは承知してゐる。だが単に懐かしむとかいつた感情でさうしてゐるのとも少し違う。少し乱暴な言ひ方をすれば今の作家の作品では僕は満足出来ないのだ。表現、リズム、言葉の使ひ方などどれをとつても古い部類の作家達の作品の方が優れてゐる様に思ふ。それは僕の小説感といふものが明治の文豪等の作品を基礎としてゐるといふ事情もあるだらう。簡潔な文の中に厳選された言葉(これは鶏が先か、卵が先かといふ問題に似てをり、言葉を絞れば文は簡潔で比較的短いものになるのではなゐだらうか)からなる小説は作品中に思わず唸つてしまふ様な名文が多くある。それは誰もが耳にしたことのあるやうな有名な一文ばかりではなく、小品の中にも確かに存在するのである。それは夜空に瞬く五等星や六等星くらいの輝きとでもいつたらいいだらうか。あるいはもつと暗い星だらうか。だがさういつた自分以外にあまり見向きもされぬ小さな光を放つ文章を発見するのも読書の楽しみのひとつだらう。作品の中身以外にそんな楽しみを古い作品は与へてくれる。吉行の作品で【飲む】といふ題のものがあり、その中で『現在、街に酒は豊富である。しかし、金がなければ、酒もないのと同じである。』という行がある。これが今日僕が見つけた五等星である。