枇杷

八百屋さんの店頭に枇杷が並んだ。走りなのでまだ少し値は張るが初物を頂くといふのは妙に豊かな気分になる。親の庇護の元にあつた頃にはあれが食べたい、これが食べたいと我儘を言つても通らない。出されたものを兄弟で分けて食べるしかない。自分で稼ぐやうになり、自由にお金を使へるやうになつてからの贅沢は果物を買ふことである。有名なフルーツ専門店で買つたりすることはないから枇杷1パツクは千円もしない。酒やタバコの方がよつぽど高くつくのだが僕の場合、これでは贅沢な気持ちにはなれない。金額の問題ではないのである。こんなことをわざわざ分析するのも馬鹿馬鹿しいのだが、やはり季節のものといふ要素は外せないだらう。本来はないものがずつとある、いつでもあるといふことが豊かさなのだらう。だが、季節の果物、つまりその時期にしか手に入らないものを口にした時に感じる豊かさは明らかに質が違ふ。人が努力して作り、お金を出して買つたものなのに恵んでもらつたといふ気持ちがどこかに在るのだ。残つた大きな種を捨てずに鉢に挿してみるか、などと気まぐれをおこすのもこんな気持ちのなせる業なのかも知れない。