ICレコーダー


あまり使ふ機会はないのだが、僕はいつもICレコーダーを持ち歩いてゐる。急に何かをメモする必要がある時にはペンと紙を出して記録するよりも当然早い。文字を焦つて書けば字は汚くなり、ともすれば後に自分が何を書いたのか判らなくなる場合もある。得た情報を正確に把握するにはもつてこいの機器である。だが、内容は正確なのだが問題もなくはない。再生した自分の声を聞くと常に驚き、そして厭な気持ちになることである。これが他人がいつも聞いている自分の声なのかと愕然とする。自分で聞く声はそれはひどい声なのである。この声を他人様に普段聞かせてゐるのかと考へると申し訳なくなる。かといつて努力でだうにかなるものでもない。また美声になる術も知らない。物真似の人のやうに声の美しい人の真似をしやうにも自分の耳を通した声と実際に他人の耳に届く声は違ふのである。良かれと思つて送つた魚が実は痛みやすい青魚で案の定貰つた人が包みを開けたら悪くなつていたやうな話である。つくづくブログといふ文字だけの伝達方法をありがたく思ふ。