彷徨える珈琲好き人間

暮れから今日に至るまで困つてゐることがある。いつも飲んでゐる珈琲が買へなくなつたのだ。月に一度の割合でフレンチを1kg単位で買つてゐたのだが、突然そのお店が休んで閉まつたままになつた。電話をかけても誰も出ない。様子を見に行くと「都合によりしばらくの間休業します」といふ張り紙は風雨に晒されて捲れ上がった状態である。この店の珈琲に出会つてからは「一生ここ以外の珈琲は飲まない」と思ふほどのお気に入りだつた。それが飲めなくなるといふことは僕にとつてかなり辛くストレスになる。僕が珈琲通かどうかはともかく飲む量だけは多い。朝起きるとまずドリツプして出かけるまでに3杯は飲む。仕事場でも飲み(これは違ふ豆だが)、当然帰宅してからも飲む。一日に飲む量は8〜10杯になるだらう。それがずつと生活になつてゐた。ところが今回の休業である。まず気に入るやうな豆探しから始めなければならなくなつた。挽き売りするチエーン店展開の珈琲屋さんは沢山あるが、好みが合はなければどうにもならない。
何とか生き残つてゐる個人の珈琲店に入つてみる。まず味見をして気に入れば買ふつもりなのだが、これが簡単には行かない。今までの珈琲の味に似てもなければ美味くもないものばかりである。何軒か回るうちに挫折感や喪失感のやうなものを感じるやうになる。人は失つた時に初めて大切さや大きさを知ると言ふが、本当である。何事も有限であることは判つてゐるつもりでもまさかいつものあの珈琲が飲めなくなる日が来やうとは思つてもみなかつた。仕方なく行く先々で手当たり次第に買つた違ふ珈琲を飲む日々を過ごしてゐるのだが、及第点に達するものには巡り会へない。彷徨える珈琲好き状態なのだ。今は一日も早く件のお店が営業再開してくれるのを待つばかりである。