早死にした大器晩成

野田秀樹の本の中で「早死にした大器晩成」といふ言葉がある。文字通り大器晩成と言はれながらそれを待たずして早死にしてしまつたといふことである。人が将来に向けて努力したり、備へたりすることは大切な事ではある。だが、必ずしもそれが報はれる保障は何処にもない。だからといつて刹那的な生き方をするほど僕には度胸がないし、無理をしてそんな格好をつけてもきつと楽しめないだらう。要するに中途半端なのである。話は少し飛躍するが今は積んでおくだけで「将来読むつもり」といふ本が沢山ある。今までこの「将来読むつもり」に全く疑問を持たなかつたのだが、最近この気持ちが少し怪しくなつてきた。理由はいくつかある。将来僕はこれらの本を読む時間や余裕を持つことが出来るのだらうか?今でも遠近両用眼鏡なしでは読み書きが不自由なのに大丈夫なのだらうか?今やらないものを本当に将来するのだらうか?などなど。いつか読むつもりだつた本、いつか行きたい場所、いつか食べたいもの。さういつたものを多く持つことは将来に夢があるとも言へるが出来るだけ早めに消化してしまつた方が良ささうである。生きていれば次から次へと新しい夢は湧き出てくるだらうし、もつと歳をとつてやりたいこと、遣り残したことの数が多いとそれらに押し潰されて結局何も手付かずといふことにもなりかねない。