迷路

無人島に1冊だけ本を持つて行くとしたらどの本にするか?といふ話は誰もが一度は耳にしたことがあるだらう。僕はこの命題を「カメラを1台だけにするとしたらどれにするか?」と自分によく問ひかける。本とカメラでは性格も使ひ方も違ふ。要はどんな理由であれどれを手元に残しておきたいかといふ問ひかけである。何度も繰り返し自問自答しようとするのだが、未だに答は出ない。ニコンFシリーズでは最新のF6なのか、デジタルなのか、同じ焦点距離で性格の違ふいくつかのライカLマウントレンズを活かすためにBRSSAなのか、初めて買つたオリンパスOM-1なのか、画質優先で中判なのか・・・と悩みだしたらキリがない。結局分からないままにこの問題はいつまでも先延ばしにされたままである。好きなものに敢へて順番などつける必要はないのではないかとも思ふ。だが、僕は自分のあれもこれもといふ性格を時に恥ずかしく感じてしまふのだ。それとは逆に古からうとなんだらうとひとつの道具をずつと使ひ続けてゐる人を見ると無条件に降伏してしまふのだ。実際はどんな理由からそれを使ひ続けるのかはこちらが知る由もないのだが僕は勝手に新しいものに媚びない、ぶれない姿を想像してしまふのだ。そして最新の技術でもつて作られ道具に擦り寄る自分の姿が無知な若者(実際僕は若くはないのだが)のやうに思へてしまふ。そして中学生の頃、雑誌やカタログ・スペツクだけでああでもない、かうでもないとバイクやオーデイオについて騒ぎまくつた頃の自分から成長の跡が見へないと気付くのだ。これは自分にとつてかなり不幸なことである。沢山の好きなものに囲まれていながら自分を恥じ、不幸を感じるといふのは何なのだらう。贅沢とも言へなくはないが、その一言で片付けるほど簡単な話ではない気がする。話は少し飛躍するが、収入と幸福度の関係についての面白い報告があつた。収入が増へれば幸福感は際限なく増すのかと思つたらだうもさうではないらしい。年収600万円をピークにしてその先はだらだらとほぼ横ばいになる。多くを持つからといつて満足するほど人間は簡単ではないといふことか。だとしたら僕は贅沢にも好きなものを求め、手にしながら尚、満足を得られず、それ故に更なる幸福を渇望するといふ迷路に入り込んでしまつたといふことになる。逆に僕は持てるものをその手から解き放ち、たつたひとつを手元に置き、その一つととことん向き合つてみる。その時果たしえ僕の渇きは解消されるのだらうか?