骨みたいなバイク

僕がピストバイクに乗るやうになつたきつかけは狭山湖でのチネリの人と出合つたことによる。だが、僕が最初にピストバイクを見たのはもつと昔の事であり、
今から40年近く前になる。その頃、僕は小学生だつたのだが、隣家の持つ家作に住む人がピストバイクに乗つてゐた。彼は多分建設関係の仕事に従事してをり、背はそれほど高くなかつた気がするががつちりとした体格だつた。仕事が終はると仲間とその自転車の乗つて出来たばかりの舗装路を走つてゐた。僕は自転車を早く走らせるのにはちよつとした自信があり、当時流行つてゐた5段変速機と電池式のフラツシヤーを奢つたセミ・ドロツプ・ハンドルの自転車を友達から借りて勝負した記憶がある。物を知らないといふのは恐ろしいものである。骨みたいなフレームでギアのないバイクなど最新式の自転車の敵ではない、と本気で思つたのである。不思議な事に勝負の行方は覚へてゐない。多分僕が負けたのだと思ふのだが、もしかしたら子供に花を持たせて負けてくれたのかもしれない。そして長い時間を経て今は僕がピストバイクに魅せられてゐる。ほんの少し前までは曲線を多用した最新式のカーボン・モデルのロードのスタイルをかつこいいと思つてゐた人間が今では真反対の立場になるのだから
不思議である。今では直線的で細身のフレーム、つまり昔馬鹿にした骨みたいなバイクが美しいと思つてゐる。