人間の知恵

核兵器のやうに存在自体が悪といふものは確かにある。(これとて人によつては善とするむきもあるだらうが)多くの場合モノ自体には問題はなく、大概は使ふ人間に問題があるか、間違つた使ひ方をすることによつてモノが悪者にされる。車だつて走る凶器に成り得るし、パソコンだつて引き篭もりを助長する一面があるだらう。タバコは百害あつて一利なしと言はれて久しいが愛煙家からすれば決してそんなことばかりではない。値段が上がつても、ガンや肺気腫になると脅迫されても止めないのだから何かいいことがあるのだ。バカとハサミは使ひやうといふ言葉があるが、要するにモノは使ふ人の知恵次第なのだ。僕の好きなカメラだつて盗撮などといふ卑怯な道具になることもあるし、ピスト・バイクだつて若者の暴走道具としてのイメージの方が一般的だ。エコだの健康的だのともてはやされた自転車のブームの中にあつてピストは少数派である。その中でもブレーキも付けず(使はずではなく、付けずである)交通法規を守らず、トリツクばかりを追求する輩は更に少数だ。彼らの危険で傍若無人な振る舞ひで他の多くの真面目なピスト乗りが世間から白い目で見られる。ピスト・バイクに触れた事も、乗つたこともない人間が知つたかぶつてピスト=ノー・ブレーキ=〉危険=〉締め出すべきといふ単純な構図で尤もらしい自説を展開することになる。ピスト・バイクとはノー・ブレーキでもなければシングルのフリー・コグを付けたものでもない。知らないくせに何でもかんでも一緒にするなと思ひつつも知らないからこそ一緒くたにするのも理解出来る。お騒がせな少数派のためにその他の善良な多数派が迷惑するのは世の常である。然しながらピスト・バイクには罪はないし、真面目なピスト乗りにも罪はないのだ。使ふ人間の知恵の問題なのだ。