時計四方山話

時計が好きだと以前ここに書いた。僕は収集癖があるが、これもその対象のひとつである。アンテイークの手巻きやオートマチツク、クオーツ式(電池)ソーラー式とそれぞれある。機械を駆動させる方式としては僕は手巻きが一番好きである。理由は信頼出来るからだ。こう言ふと「ん?」と思ふ人も多いだらう。手巻きは一番古い駆動方式であるから最新式のクオーツや電波時計に比べて信頼度は低いのではないか。確かにそれはその通りである。だが、ソーラーはともかくとして僕には手巻きが一番信頼出来る。何故か。当然のことながら自分で巻くからである。竜頭を回転させてゼンマイを巻く。巻き始めは軽く回つてゐた竜頭に徐々に負荷がかかつてくる。適当なところで竜頭を元に戻して腕につける。毎日これを繰り返す。オートマチツクは腕に嵌めてさへおけば腕の動きによつてローターが動き、自動でゼンマイが巻き上がる機構である。これは合理的なやうであるが、僕は少し不安になる。特に古い時計では一日の時間の差が1〜3分までは許容範囲なのだらうが、これが機械の調子によるものなのか、それともゼンマイが巻かれなかつた事によるものなのかの判断に迷ふ。だから同じ日差1分でも手巻きとオートマの時計ではストレスの度合いが変わつてくる。手巻きであれば竜頭を廻した回数や時間で何となく量が判るのに対して、オートマはどのくらいローターがゼンマイを巻き上げてくれたのかはまるで判らない。僕のやうに不安に思ふ人は少なくないやうだ。そこで中にはその不安を解消すべく?それともデザイン的なものなのか、時計の文字盤の中に巻かれた量を教えるインジケーターをあしらつたものもある。だが、ここでも問題がない訳ではない。巻上げ量が少なくなつてきたら腕を何度も前後に振るか、腕から時計を取り外して手首を動かし時計を振る必要がある。この姿はあまり格好のいいものではない。手巻きも可能なオートマもあるが個人的には潔くなく思へて好きではない。さて、いくつかある時計の中でその日の気分によつて使ひ分けるなんてことを宣伝文句にするフアツシオン雑誌やメーカーの広告があるが、実際のところ普段使ひのものは自ずと決まつてしまふ。僕の場合、最近はチユードルの通称「でか薔薇」である。古いものではあるが、文字盤はリダンされてをりそこそこ綺麗な状態である。実は僕が不安に思ふオートマなのだが、今のところ元気である。