本当に

言葉は生き物だと言ふ。だから時間とともに使ひ方が変化していくことがある。これはその言葉の進化なのか、退化なのか。最近、気になるのは「本当に」といふ言葉である。この言葉、とにかくよく使はれる。活字媒体ではそれほど多くはないが、会話の中では馬に食はせたくなるほどだ。例えば「本当に多くの人からの募金が〜」「本当に感謝して〜」などだ。注意して聞くと「本当に」のオンパレードだ。さうなるとわざわざ頭に「本当に」を付けることによつて「本当に」の本当の意味が薄くなり、何やら嘘つぽくなつてくるのだ。本人としては本当に=心からといつた意味で使用するのだらうが、使用過多により言葉の重さのやうなものが摩滅するのだらう。また誰もが見境無く、簡単に使ふものだから世の中に「本当に」と呼ばれるものが増へ過ぎて本物の「本当に」だけでなく紛い物の「本当に」も混ざるやうになつてきたのかも知れない。だから敢えてこれは嘘じゃないですよ、本物の本当ですよと断る必要が生じ、結果、「本当に」が乱発されることになつたとも言へる。だが、「本当に」が当初の意味から磨耗して軽くなつてしまつたのだから本物だとしても受け取る側は「本当に」を手にしながら「うーむ、本物のやうだが随分と軽いじやないか。形は大きいが中は肉抜きだ。つまり伽藍堂だな」と思ひつつも相手に「本当に」を付けて感謝の言葉を返すことになる。ますます嘘つぽくなるのだがそこは大人の世界。いちいちそんな疑問や不満を相手にぶつけるほど愚かではない。お互い軽く受け流す術は身に付けてゐる。それに今更昔の重みを持つた「本当に」を頂いたりしたら受け取る側が持ちきれないのも事実だらう。その辺のことは言葉のプロである政治家が一番よく知つてゐる。だから彼等の使ふ「本当に」ほど軽く嘘つぽい「本当に」はないのである。