ルパンの消息

横山秀夫の「ルパンの消息」を読んでみた。彼の作品はすべて読んだつもりだつたが、実はこれだけ抜けてしまつてゐた。それには理由がある。小説家としての第一歩を踏み出す小説でありながらなかなか単行本にならなかつたからだ。だから僕は彼の作品を現在から過去に向かつて読まざるを得なかつた。内容はそこそこ面白いのだが、いかんせん荒さが目立つ。小説家として歩み出したばかりだから仕方の無いことだとは思ふのだが、実力が付いた時期から読み始めた者にとつてはいささか不幸な読み順である。生意気な口をきく眼前の我が子の幼い頃の写真を見て「ああ、こんな時もあつた」と感慨にふけるのと同じやうにはいかない。読者としてはよちよち歩きだつた作家の成長ぶりを一緒に見ていく方が楽しいに違ひないからだ。ただ、さうは言つても先ほどの親が生意気な〜的な見方をすれば現在の氏の顔、つまり作品が最初期の中に見て取れる部分がある。それは小説の最後に添へられる落ちである。「出口のない海」「クライマーズ・ハイ」などの最終章は「ルパンの消息」で採られた手法と同じであらうかと思はれる。成熟した大人の顔には「ルパンの消息」時代の面影が残つてゐる。