なにを中心に据えるか

毎日のように報道される事件、事故。一時時代の寵児としてもてはやされた彼も今や当時の
ニックネームで呼ぶマスコミは皆無。容疑者○○○○と棘の冠を頂き、拘束されしその身ではもはやその冠さえもただすことも出来ない。彼を擁護するつもりはまったくない。誰しもたった一度の人生である。生き方は自分自身で決めたらよい。然し生きていく上でなにを
自分の規範とするかは考えなければならないと思う。事が起こってから「法律に抵触する
とは考えていなかった」旨の発言をして事件の計画性や確信犯でないことを声高に叫ぶ輩が多い。その種の発言がいかに幼稚な発言であるか理解しているのだろうか?例えるならば
子供が「いつ決まった?何時何分?」と言っているのに等しい。またその発言の根底には
人としてのあるべき姿や大人としての自覚がまるでないのだ。法律で決まっているかどうか・・・を思考や行動の中心に据えるのではなく、その思考なり行動なりが美しいかどうかを基準とすべきでないか?以前の当たり前という共通意識がなくなり、代わりにごく普通の
ことが法律化されるギスギスした世の中を誰が望んでいようか?