ウサギに合掌

江東区の小学校で飼われていたウサギが同小の卒業生ら3人によって殺された。ウサギをサッカーボールに見立てて蹴り殺したということである。我々は自らの命を繋ぐ為に生き物を殺し食べる。スーパーでパックに入った肉からは生きていたであろう頃の牛や豚や鶏を想像するのは困難であろうが、彼らも確実に生きていた時期があった。どんな人間であろうと
食べて生きながらえている以上殺生からは免れない。然し生きる為の殺生と今回の事件とは
まるで次元が違う。彼らは自らの命の重みも他者の命の重みもわかっていない。いや、わかっていないというより、重さがないのであろう。重さのない命など本来ない筈ではあるが、彼らは刑事罰を受けるよりも自らその命を絶つべきである。所詮重さのない命なのであるから。