顔の見える・・・

今日の午前中に先週撮影した高麗神社の桜のプリントが上がってきた。しだれ桜を主題に茅葺屋根の高麗家住居跡を撮ったものを半切に引き伸ばした。機材はマミヤRB67、フィルムバックを6x8に変更して65mmのレンズ。フィルムはコダックのポジ。目の悪くなった僕には中判での撮影は心地いいのだが、出費はフィルム、現像、L判プリント、引き伸ばしとどれも35mmの比ではない。最初にこれは!?と思うコマをL判でプリントしてみる。これを元にトリミング、色味を検討し伸ばす大きさを決める。写真館の主は妥協しない人なので細かくラボに注文をつけてくれる。ラボも職人気質の人で忠実に?もしかしたらそれ以上に注文に答えてプリントを上げてくる。このラボの人がずいぶん前にこの写真館に来たことがある。僕もその時に同席することが出来、挨拶を交わした。口数の少ない実直そうな人だった。今は写真館もラボも受難の時代である。誰もがカメラを持つことが出来、写真人口は増えたのだろうが、その分競争相手も増えた。カメラや家電の大手量販店が都心だけでなく郊外にも沢山出店している。量販店はカメラを安売りし、プリントで稼ぐ。店員に聞いた話だが、カメラを売っても純利は2%くらいだそうである。ずいぶんと低い利益率だ。 僕が写真館にフィルムを持ち込む理由はいくつかあるのだが、そのひとつに顔が見えるということがある。顔が見えるというのは、僕の撮ったフィルムを誰に預け、その人から誰の手に渡り現像、プリントに至るかが特定出来るということだ。言い換えれば責任の所在が分るとも言える。写真が下手なら僕の責任、現像やプリントが下手ならばラボの責任、写真の巧拙以外は最終的には写真館が責任を持つ。これは僕のコダワリで写真以外でも同じ。スーパーマーケットが嫌いである。出来るだけ野菜は八百屋、魚は魚屋で買う。疑いだせばキリがないが、顔が見える商売をしている人、その地に根っこを下ろして商売している人はそうそう下手なことが出来ないと思う。でも何よりも僕は個人商店が好きで、商店街が軒並みシャッターを降ろしていくのがイヤなのだ。写真館の主は「あんたとSさんが辞めていいと言えばすぐにでも店を閉める」と時々冗談ぽく言う。最初はどぎまぎしてどう答えたらいいものか困ったものだが、人間何度も同じ状況を経験すると慣れてくるもので最近では「あと30年はがんばりましょう」と軽く受け流して笑い合っている。