忘れる

日本の国がどんどん可笑しな方向へ進んで行く。何故だろうと考えた時に日本人の国民性に原因があるのではないかと思いついた。ならばその国民性とはどんなものなのか。その一つに「忘れる」ということが挙げられる。例えば日本では生前どんなに悪行を尽くした者でも死ねば仏となる。仏に対して悪態をついたり、責任を迫るということはまずしない。同じアジアでも中国などは違う。死んだからといって簡単には許さない。閣僚達の靖国参拝などに猛烈な抗議をするのはそういった国民性が背景にあるからだ。ヨーロッパはどうか分からないが、少なくとも「死んだら仏」的に無罪放免にはしないようだ。ジャン・レノ主演の映画「ロザンナのために」の中では盗んだ金を預かった銀行家が、その金をギャングが服役している間に横領してしまう。刑期を終えて出てきたギャングは銀行家の元へ金を取りに向かうが銀行家は事故で死んでしまう。銀行家の死体を見たギャングは「死んで逃げようとしても無駄だ!」と言って拳銃で自殺してしまう。この世にいないのならばあの世まで追いかけてやる、というのである。忘れたり許したりしないのだ。小泉政権の時に高速道路計画の縮小が約束された。今はまた当初の計画通りに粛々と進めるそうである。忘れてしまう民族は検証をしない。ただ眺めているだけである。今日から5月。眺めるのは新緑や街路のハナミズキだけにしたらどうだろうか。