雇用主と従業員

税率を見直すことなく暫定税率は復活した。今回、今更ながら気付いた事がある。それは為政者は民の論理で考えていないということである。まるっきり違う論理で考えているので行動も違ってくる。彼らが民と違う論理で物事を考え、行動するようになるのには色々な要因があるのだろう。僕なりにその要因を考えてみた。一つご紹介する。それは彼らを【○○先生】と呼ぶことにあるのではないだろうか?【先生】・・・・恐らく彼らの秘書あたりが自分の雇い主(本来私設でなければ先生は雇い主ではないはずなのだが)を呼ぶのに使いだした呼称?敬称なのだろう。それがいつの間にか当然のように使われるようになった。○○議員とか○○代議士と呼ぶよりも言い易いというのも一因なのだろう。だが、言葉というものは不思議な力があって声に出したり、文字にしたりすることによってその言葉を発した人を縛るようになる。まるで知らない人でも先生と呼んでしまった時から「なんだかエライ人なんだろう」と無意識に思うようになる。呼ばれた方も最初は謙遜していてもだんだんと増長してくる。くすぐったいような気持ちがだんだんと気分良くなってくる。盛り場で呼び込みが誰彼構わず「社長〜!」と声をかけるが、かけられた方は悪い気はしないのと一緒だ。ここでもう一度我々と先生というものの関係を良く考えてみたらどうだろう。普段の生活において先生と僕が使う職業は学校の先生だったり、病院の医師くらいのものである。何かを僕に教えてくれたり、僕の病気を治してくれる人が先生なのだ。僕らと政治家の先生との関係は、本来雇い主と従業員という間柄でなくてはいけないんじゃないのだろうか?それにしても雇い主に損害ばかりかける従業員達ではある。