地球時計

Elmar52008-05-04

久しぶりにデジタルカメラを持って散歩に出た。今の時分咲いている花はコデマリオオデマリ、テッセン、藤などだ。ハナミズキは散り始めている。公園の中にある池には沢山のオタマジャクシが泳いでいた。彼らのうちどのくらいが大人(=蛙)になれるんだろうと思った。他の生き物のエサとなってしまうものも多いに違いない。自然の食物連鎖であれば致し方ないことだ。いきなり話は大袈裟なものになるが、この地球に住む生物や植物一つ一つを時計の部品だとする。人間も部品の一部だし、犬や猫、像もキリンもそうだ。虫も鳥も魚も地球という時計の何らかの機能を受け持っている部品。今までに多くの種が絶滅してしまった。自然淘汰もあれば人間によってそうされてしまったものも多い。工業製品の時計ならばたった一つの部品が破損しただけでその機能を果たさなくなってしまうことだろう。ましてや部品がなくなれば尚更だ。地球時計は機械の時計よりもそのあたりが寛容らしい。過去になくしてしまった部品(=種)は数多いが今のところ動いていてくれている。だが僕らの手によって壊したり、無くしてしまった部品は初めから必要のない部品だったのだろうか?無くても機能に関係ないものばかりだったのだろうか?これほど精巧な地球時計に不必要な部品があったとも思えない。もしかしたら100年に一度、1000年に一度動く為の部品だったのかもしれない。中にはもっと長いスパンで動く部品もあったとしたら・・・。次の100年目や1000年目には部品が無い為に時計の機能が停まってしまうことがあるかもしれない。人間から見て何の価値もない生き物でも地球時計にしてみれば生まれた理由や生きていく意味があるとしたら・・・。この地球は人が支配しているが、多くの生物(=部品)があって成立していることを忘れてはいけない。 写真は昼下がりの公園で読書をする人、語り合う夫婦、その向こうには子供用の自転車。今年生まれた子供もその次の次の代もこんな時間が持てる地球であるように。