フィルムは・・・

年齢を経るにつれ新しいものに対して感度が鈍くなってくるのは仕方の無いことだろう。技術をはじめ娯楽、芸術など様々なものにスンナリ入っていけなくなるばかりか、面倒臭がってバリアを張るようになる。そして心の中では多少の憧れを抱きつつも古いものに執着してみせる。僕の年齢、つまり中年世代は丁度真ん中辺りに位置するのか少し古いものを知っていて、少し新しいものを吸収して適度に面倒臭がる、まあ、いい時なんだと思っている。何時の時代でもあらゆるものは日々技術の革新があり、新しい価値や生活が生まれるという流れは今日まで連綿と続いてきた。そしてあるものは生まれた時の意味を時代の流れとともに失ったり、変化させていった。一度失ってしまうと回復不可能なものも多数ある。僕の好きなカメラの話をすれば、今存続の危機にあるのがフィルム。プロやハイ・アマチュアが使っていた積層乾電池の生産が終わり、古い大型のストロボは死蔵品になるのは時間の問題。(屋内であればAC電源からの供給も出来るが・・・)コダックもフジフィルムもフィルムが売れていない。個人的な意見としては画素数が大幅アップした今でも出来上がった写真はデジタルよりもフィルムの方がいまだ一日の長があると思う。だが、世の中はきれいな写真よりも便利で、簡単、安価な道を選択した。せめてデジタルの領土、フィルムの領土というように両者が住み分けてくれれば僕らはもっと自由で豊かな選択が出来たはずなのだがそうはならなかった。いずれフィルムは姿を消すことになると思う。防湿庫にあるフィルム・カメラもフィルムがなければ仕事が出来ない。道具そのものの持つ機能美や価値という面もあるが、それはあくまで側面であって正面ではない。仕事を取上げられてしまった道具は飼い主に抱いてもらえない犬のように悲しい。