なくしてから気づくもの

なくしてから事の重大さに気づくというのは誰でもあることだろうが、僕の場合も例に漏れずそんな経験が多く、悔しい思いばかりしている。生きている時は存在を知らず、亡くなって何年か経った後、何かの偶然によって出会った作家にハマるなんてことはしばしばある。例えば不良ジジイの冠を持つ、稲見一良。作家デビューが遅かったので著作も多くない。彼はかっこいい男の生き方を描いた。厳しさや優しさ、夢などを暴力抜きで表現した数少ないハードボイルド作家だったように思う。米原真里は晩年の著作で政治について憤懣やるかたない思いをストレートに書きすぎた感がある。自分の残された時間の短さを考えるといつものユーモアに満ちた文章で政治を皮肉る、批判するという余裕が持てなかったのだろう。努力家、研究熱心、まさに才女。マルセ太郎との出会いは著作「芸人魂」だった。それも新刊ではなく古本。読んだ時にはもう彼岸と私岸に離れ離れになっていたので彼の舞台を見たことがないのが口惜しい。他にも作家だけでなく俳優、歌手など数え上げれば枚挙にいとまがない。自分が生まれる前に亡くなっている人ならば納得もいくが、短い時間であっても同時代を生きていた人の場合は自らの不明を悔やむばかり。もっとも生前から贔屓にしている人が亡くなるとまた別の悔しさや悲しさを背負うことにはなるのだが・・・。今日はジョン・レノンの命日。★画像は仕事場近くの美容院のショーウィンドーのディスプレイ。なんと石と流木、貝殻でカレンダーにしています!ここの美容師さん(男性)はキャノンデールMTB レフティを駆る!気持ちよく撮影させてくれました。感謝です。