悪食

少し前の話になるが、米国のブッシュ大統領が自国の自由競争は間違っていない、といった趣旨の発言をしていた。勿論サブ・プライム・ローン問題発覚後の話である。かつてのソ連自由主義(あの頃は資本主義といっていた)を批判した。然し、その後社会主義共産主義の国が崩壊して各国が自由主義へと転向していった。そして自由主義の国々はそれ見たことかと自由主義以外のシステムをこき下ろした。そして自由主義経済の自国を正当化した。実は僕はかねてから為政者達の言う自由主義社会主義といったものに懐疑的なのだ。本来どれも経済学的な方法論であって決定的な優劣など付けようのないものと思っているのだ。こういうことを言うと歴史的にみて社会主義国家で上手くいった国は云々と仰る方がいる。だが、学者達の唱えるシステムを教科書通りに実践した国はないのが現実なのではないだろうか。どれも為政者や役人がシステムを隠れ蓑に不正をしてきた。そして自らの保身のためにシステムを維持しようと躍起になってきた。これが実情だろう。システムとは道具と同じものだ。車は便利な移動の手段であると同時に使い方を誤れば動く凶器にもなりうるのだ。道具は使う人間によってどうとでもなってしまう。自由主義を突き進めていけば優勝劣敗の法則を貫くことになる。金になるならば何を作り、何を売ってもいいことになる。だが、それでは社会は壊れてしまう。(実際米国はそれに類する商売をしているが)そこに道徳や倫理を配するのが人間の知恵であり、良識であろう。人は残念ながらそれらの枠を設けなければ突っ走ってしまうようだ。動物でも共食いをする種類は少ないだろう。理性、良識、倫理、知恵といったものを取っ払うと人は共食いをするイキモノのようである。地球の生物上で一番悪食なのは人である。