本屋のない国

先日ラジオを聴いていたら本屋さんの店員だか店長だかが出ていた。出ていたといってもラジオ局からの電話出演というものだった。その中の話で書店経営の危機という話があった。今、書店は毎年600軒減ってきているらしい。一日1軒以上の割合で廃業していることになる。理由は色々あるだろう。例えば書店以外でも本を扱うようになったこと。ネットで注文すればおよそ2〜3日で指定したコンビニで受け取ることが出来る。地方の書店だと10日くらいかかることも珍しくないのでそれよりも1週間ほど早い。誰でも欲しい物は早く手にしたい。毎日食品などの納品があるコンビニならばそれらを運ぶ車に乗せるだけなのでコストはそうかからない。だが、一般の書店はそうはいかない。その他にも活字離れが言われて久しい。だがブログにしても携帯のメールにしても活字を使っているのだから正確には活字離れではなく本離れなのだろう。実際電車に乗っても昔は新聞を読む人、本を読む人がいたが、今は携帯でメールをする人、携帯で音楽を聴く人の方が多く見受けられる。老いも若きも携帯と睨めっこだ。そんなにしてまで連絡しなければならないことや、誰かと繋がっていたいのかと不思議に思う。事情は人それぞれだから中にはそういう人もいるのだろうが・・・。話が本屋から逸れてしまったが、本屋がどんどん無くなっていく現実は淋しいし、不安である。何が不安なのかは具体的には分からない。ただ漠然と不安を感じてしまうのだ。それはもしかすると本を読んで育ってきたアナログ人間世代の終焉のような気持ちになるからかもしれない。一冊の本を読んで感想は人によって違うことはあるが、アナログ世代間の感想は集合体の中に収まった気がするのだ。だが、本を日常的に読まなくなった人、尚且つデジタル世代の人の持つ感想や価値観は今までの僕らの集合体の範疇外にあるように思える。いつの時代も世代間のギャップというものはあっただろうし、これからもあるだろう。だが、それでも同じ本で育った人間同士は根っこの部分で集合が重なる部分があったんじゃないだろうか。歳を重ねて適応力が衰えてくると習慣や常識、感じ方や価値観の違う世の中というのはまるで異国のように思えてしまうだろう。本屋があるうちは僕の生まれ育った国だが、いつか本屋が絶滅してしまったらそれは異国になる。