高田馬場にて


ずいぶんと昔の話、25年は経つであろうか。始発電車に乗って高田馬場まで行き、日銭を稼ぐという生活をしたことがある。駅から歩いて5分くらいの公園には手配師達がワゴン車や外車で乗りつけ、仕事を求める人々が彼らの回りに集まった。その頃は景気も良くいたるところで建設ラッシュ。仕事にあぶれることはなかった。いつでも人手が足りないくらいの盛況だった。手配師によって手際よく僕らは選別されワゴン車に乗って現場に行く。建設の仕事など全くしたことのない者でも一人工(いちにんく)として数えられ、一日1万3〜5千円の日当をその日のうちに貰うことが出来た。訊いたことはないが、おそらく手配師の元には一人当たり2万円くらいが元請けから支払われていたのだろう。この仕事、始まりは朝早いのだが、終わりもまた早い。遅くても午後4時には必ず現場は終わった。泥に汚れた汗臭い服のまま電車に乗って帰るのは気が引けたものだった。それでも交通費と昼飯代を差し引いても1万円以上残る日当は魅力的で都合2月と少しくらいの間そういった生活が続いた。今となっては懐かしい話である。今日所用があって都内に出た。乗換駅の高田馬場で降り、当時手配師と仕事を求める人々が集まった公園までの道のりを歩いてみた。公園はきれいに整備され、鬱蒼とした林はなくなり、園内に住む人もいない。代わりに野球をする親子、サッカーボールを追いかける子供の姿があった。