低成長時代のあり方


朝夕めっきり涼しくなってきた。空気には秋の訪れを感じる。衆院選での各党のマニフェストはわが国の経済成長について耳に涼しいことを謳っているが果たして思惑通りの成長など期待出来るのだろうか。 落語の中にこんな話がある。長屋に住む者たちが集まって酒を飲むことになった。皆で金を出し合って肴を買おうということになる。親分肌の男が一人ひとりに持ち合わせはないかと訊いていく。「八つぁんは持ってねいかい?何?お足だよ、お足、銭のことだよ」「人にモノを訊くのに持ってねぇかいはねぇだろう。せめてお持ちじゃございませんかくれぇお言いよ」「あぁ、そりゃ悪かった。ところで八つぁんは、お金をお持ちじゃあございませんか」「そんなもん持ってるわきゃあねぇだろう」「なんだい、人の言い方にケチつけやがって持ってねぇじゃねぇか。そいじゃあ、熊さんはどうだい」「金、金、金っていやだね。金のない国に行きたいね」「行けばいいだろう、勝手に行ってこい」「旅費がないね」という会話である。面白可笑しいだけでなく金がなくとも何だか生活出来てしまう社会があったような気がする。経済は成長するのが勿論望ましい。だが同時に低成長の社会でも人が生きていけるようなシステムは必要なのではないかと思う。