名前

親から最初に貰うものは命と名前である。「命」と言ってしまうと神様からの授かり物と信じている人には抵抗があるかもしれないが、そういう人も名前については異論がないだろう。字画だの苗字とのバランスだのの制約はあるものの命名は親の独断で決めることが出来る。我侭だろうが横暴だろうが自分の願いや希望などをこめて命名する。名前にも流行り廃りがあり、極端な言い方をすれば名前を見ただけでその人の年代が分かったりもする。現憲法が制定された頃には名前に「憲」という字が多く使われたという。昔は男には「男」や「夫」「雄」がつくものが多かったし、女には「子」が多く使われた。今はこれらは廃れているようである。字の持つ意味よりも語感に重きが置かれているらしく外人かと思うような名前、どう読んでいいのか解からない名前も多い。命名権をどう使おうが各人の勝手ではあるが、せっかくの漢字を意味優先でなく音優先にしてバラバラにしてしまうのはいかがなものかと思う。名前と言えば音楽家久石譲氏はクインシー・ジョーンズにあやかっていると聞いたことがある。作家の故半村良氏の名前はファンだったイーデス・ハンソンさんを漢字にしたと聞いていたのだがただの偶然の一致だったらしい。その偶然を半村氏が面白がって否定しなかったというのが真相のようである。