狂気の輩

今日から鯨肉の裁判が始まる。調査捕鯨船の乗組員が土産用に送る鯨肉をGPのメンバーが配送会社の倉庫から盗み、それを証拠に告発したところ窃盗、不法侵入の罪に問はれた裁判である。GP側は告発するために必要な行為であるとして無罪を主張しているのだが果たしてそんな詭弁が通用するのだらうか。先ず調査捕鯨自体に違法性があるか否かといふ判断が未確定な時点で違法性を告発という論理は妥当性を欠く。次に仮に調査捕鯨に違法性があるとしてもその証拠を掴むために盗みを働くことに法は正当性を付与することは到底出来ない。従つて違法に獲得した証拠物は証拠物足り得ない。だうしてこんな単純なことが分からないのかと不思議である。実はその不思議を解く鍵は彼らの信じ込んでいる正義といふ物騒なものである。正義という名の原理主義と言つても差し支へないだらう。彼らにとつて原理に基づく行為はすべてジハード(聖戦)であるのだ。正しきを行うのに迷いも躊躇いもあつてはならない。だが一体その正しいとは何なのだらう。米国が日本に原子爆弾を投下したのも正しい行いであつたのか。日本が戦争を始めたのは正しかつたのか。例を挙げれば枚挙にいとまがない。歴史的に見れば中には正しかつた行為もあるのかもしれない。だが、僕らはいつまでも覚えておかなければならない。正しいことを声高に叫びながらあたら若い人の命や力を利用して最前線へと送る人間の狂気と恐ろしさを。