嫌いな音

僕は我侭な性格である。それに加へて好き嫌いが多い。食べ物の好みもさうだが特に音には拘る。自分で言ふのもなんだがかなり耳の性能は優れてゐると思ふ。だから嫌いな音は小さな音量であつても気に障る。ましてやそれが大音量だつたりすれば神経症になりさうになる。20年以上前に入院したことがある。期間は約1月間だつた。治療も終了し無事家に帰つた。ところが退院初日の夜が大変だつた。静かな病院生活に慣れきつた僕の耳はこの世の無秩序な音の洪水にすつかり参つてしまつたのだ。テレビ、車のクラクション、緊急自動車のサイレンなど入院前まではさほど気にならなかつた音たちに襲はれてゐるやうな気分になつた。暫くの間神経は擦り切れ、耳の奥が痛い時期があつた。叶わぬことではあるが今一度せめて夜だけは入院したいと真剣に思つたくらゐである。健康になつたにも関わらず音を恐れて引きこもつていられる筈もなく、否応無く仕事に行くうちに僕の耳は慣れていつた。入院前に戻つた訳である。それでも道路をはつる音などは遠くから聞こへてきても心臓の鼓動が激しくなるし、耳は悲鳴をあげる。逆に好きな音であれば大音量であつても平気なのだ。好きな音の代表はチエンバロの音色である。すべての楽器の音を承知しての話ではなゐ。だが今までこれ以上の美しい音を知らない。ついでなので僕の嫌いな声も紹介しておく。実名を挙げると差し障りがありさうなのでヒントくらゐにしておく。フオーク歌手の息子で裏声で歌ふ声がだうにも癇に障る。付け加へると母親の声も嫌いだつた。男の裏声(音楽的にはもつと違つた言ひ方があるのだらう)は好きになれない。米国の3人の兄弟のコーラスも僕にはいけない。女性ボーカリストでクラシツクを日本語で歌ふ人の声も駄目である。あの野太い声と息継ぎ(ブレスといふのだつけ)が神経を刺激する。何事にも美醜を判断するのは個人の主観だらう。だから僕が嫌いでも他の多くの人が好きだといつたことは普通にある。だから正解も不正解もなく優劣もありはしない。前述のシンガーが好きな人はだうぞ僕の意見などお気になさらずに音楽を楽しんで頂きたい。