火を手放す

先週末から天気が良いので自転車通勤を続けてゐる。一日はママチャリだつたが、あとはすべてピストバイクである。田舎から田舎への移動なのだが、道路は案外混む。朝の清清しい空気とはいかずに排気ガスの中を走る。今在る車が全て電気自動車になればかなり空気は良くなりさうな気がするのだが、ある試算によるとそれには原発があと200基ほど必要になるさうだ。試算や統計は都合のいい利益誘導型の話が多いので眉に唾をつけて聞かなければならないが、確かに電気の需要が増せば発電量を増やす必要はあるだらう。原発200基の話が妥当性があるかどうかはともかく、多くのものが電化の方向へと流れてゐるのは事実のやうだ。僕は電化をまるつきり否定するのものではないが、頑固なのか調理だけは拒絶反応をおこす。火を使はず、電気でフライパンや鍋を使ふのがどうも信用出来ないのだ。熱を加へる方法が違ふだけで結果は同じとも言へるだらうが僕は駄目なのである。火を使はない炒め物などとても美味いとは思へないのだ。多分作るところを見ないで出されればどつちがどつちか判断出来ないのだらうが・・・。人が火をコントロールするやうになり、そして火を捨てて電気だけを使ふ時代が近づいてゐる。今でもボーイ・スカウトの子供達は火を使ふ時にライターは禁止でマツチだと聞く。やがて彼らも火をおこすことをしなくなる時代が来るのだらうか。