基本料金

東電の事故のあおりで輪番停電といふ不便を我々は強いられてゐる。僕の頼りない記憶力によると子供の頃だつてこれほど停電になつたことはない。夏の日の夕方に近くで大きな雷が落ちた時の一時的なものくらいである。電気料金は基本料金と従量制で算出されてゐる。つまり電気をまるつきり使はなくとも契約してゐるアンペアの大きさによつて一定の料金は取られる。水道、ガスなども基本料金プラス従量制だ。ライフ・ラインに関はる事業の安定的な経営にはこの料金体系は必要なことは理解出来る。だが、今まで一日のうちで何時であらうと僕等は電気を使ふことが出来るのが当たり前だつた。ところが今回の事故でそれが当たり前でなくなつてしまつた。東電の努力でいつでも電気を使へたといふことも出来やうが僕等にしてみればさうでなくなつた=サービスの低下である。サービスが落ちて基本料金が変はらぬといふのも不思議な話である。ガソリン・スタンドも人件費を削つて、つまりサービスを落としてガソリンの価格を下げた。自由主義の論理からすると算盤が合はないのである。今回の事故で東電の経営は悪化するだらう。そこにサービスが落ちた分基本料金を下げよと言はれてその通りにしたら更に経営が悪化するのは僕にでも分かる。だが、理屈では理解出来るものの感情ではやはり納得出来ないのは僕だけだらうか。