まるい字をかくそのあなた

僕らが鏡を見ながら顔のニキビを気にしてゐた頃、今と違つてメールだのワードだのなんて存在しなかつた。年賀状、暑中見舞い、ラブ・レター、なんでも手書きだつた。手紙を受け取つた相手は僕の字を知ることになるし、返事を貰つた僕は相手の字を知ることになる。角ばつた字、右肩上がり、右肩下がり、映画の字幕に似た字など様々な字体。かな釘流なんて揶揄の仕方もあつた。今の若人は、年賀状の代わりに【明けおめ】メールなのだらう。まして交換日記なんて言葉さへ知らないのかも・・・。高村光太郎の詩、「人に」の中に「まるい字をかくそのあなたと」といふ一節がある。好きな人の字体さへも愛おしく思ふ気持ちが読手にも伝はる箇所である。翻つて現在を考へると好きな人の書く字なんて知らなくても何とも思はないし、知る機会さへない。婚姻届を出す時に初めて相手の字を見た、なんてこともあるだらう。