クワガタを眺めながら

僕は無神論者だ。だが、現在飼育してゐるクワガタを眺めてゐると「神様はよくぞこんな小さな生き物をお作りになつたもんだ」と感心してしまふ。たつた数十ミリの体に頭があり、目があり、口があり、手足がありと概観の違ひはあれども人と何ら変はらない。羽根があつて飛ぶことも出来るのだからある意味人よりも優れた機能も持つてゐる。昆虫や動物を見て「一体、何のためにこいつらは存在するのだらう」と考へることもある。嫌われ者のキングであるゴキブリなんてものは絶滅すればいいと思つてゐる人も多いだらう。人の役に立つか否か、人に害があるかないか、人から見て可愛いのか気持ち悪ひのか、この人基準によつて人以外の生物は勝手に判断される。「我々の祖先はあんたらが出てくるずつと前から地球に存在するんだよ」と主張したい生き物もきつと多くあるだらう。彼らにしてみれば人の都合の判断基準なんてものは意味がない。別に人間のために存在してゐるわけではないからだ。彼らは彼らのためだけに存在する。人間と利害が一致するかなんてことは関係ないし、むしろ僕の利益は彼の不利益、彼の利益は僕の不利益といふのが当然かも知れない。 ニホンカワウソが絶滅してしまつたといふ発表が環境省からあつた。ふと気になつて環境省国土交通省をウイキペデイアで調べてみた。仕事が関連する部分もあると思ふのだが、この両省は密に連携してゐるのだらうか。国交省の利益は環境省の不利益、環境省の利益は国交省の不利益の図式が成り立つてゐる気がする。